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高知
高知県(こうちけん)は四国地方の南部に位置する県。県西部を流れる四万十川(しまんとがわ)の川面は四万十ブルーや四万十グリーンと呼ばれ、国内有数の清流として知られ、ナショナルトラストのシンボルとなっている。土佐の国の名で親しまれている。
東西に長い四国の南部、太平洋から四国山脈までの範囲。高知市周辺と南西部の四万十市周辺が少し広い平野だが、他はほとんど海の近くまで山が迫る山国。地質的には四万十帯と呼ばれる堆積岩が多い地域で、火山は無い。高知最大の河川は四万十川、清流として知られ最近はカヌーで川を下る人が増えた。高知県沖の太平洋を黒潮が流れており、冬の朝などは海面から湯気が立っているのが見える。気候は温暖多雨で台風の襲来も多い。太平洋に突き出た足摺岬、室戸岬は強風で知られる。
高知県は旧土佐国(とさのくに)。
平安時代には、土佐は日本国の辺境とされてきた。紀貫之の名著『土佐日記』は、主人公(女性)の家族が国司としての勤めを終え京に帰る旅立ちの場面から始まる。土佐に土着した人は、中央から追われてきた人、逃れてきた人が住み着いた場合が多いと言われている。例えば戦国時代に四国に覇を唱えた長宗我部は、飛鳥時代の蘇我氏の支流が長岡郡に定着したもの。長宗我部氏に滅ぼされた香宗我部氏は、同族(秦氏との説もある)で香美郡に住み着いた人。同じく一条氏は京都の公家が戦乱を逃れて自分の荘園のあった中村に移り住んだ。
隠岐や佐渡などと並んで流刑地とされてきた地域である。これは同時に中央の政争の影響が少ない地域でもあるため、中央の戦乱を避け逃れてきた人も移り住んだ。
戦国時代末期、土佐中央の長宗我部氏は、農民を戦力にするため一領具足の制度を作り、戦力を充実させて強大になった。一度は滅ぼされたが復活し、香宗我部氏・一条氏を討ち土佐を統一、さらに四国制覇を達成した。しかし4ヶ月で豊臣秀吉に敗れ、土佐一国に戻された。関ヶ原の戦いで西側についた長宗我部氏は領地を召し上げられ、代わりに掛川から移った山内一豊が土佐一国を支配した。その際に『一領具足』は全て武士以下の『郷士』となった。
山内氏は江戸時代を通じて土佐一国を支配した。土佐では江戸時代初期に野中兼山、末期には吉田東洋などの名家老が出て藩政を行った。幕末には下層階級の『郷士』から坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎らの志士が国許や京都で活躍し、討幕の流れを作った。最初討幕に反対していた藩上層部も最終的には幕府を見限り、山内容堂の指示で後藤象二郎が『大政奉還』案を幕府に提出した。その後 鳥羽伏見の戦い以後は『薩長土肥』の一員として明治維新の実現に貢献した。
明治維新後 土佐藩は『郷士』の有能な人材がほとんど亡くなっていたため明治の政界では大きな活躍は無かった。
戦後の政治家吉田茂は高知県出身であったが、地元の鉄道敷設の陳情に対し、『私は日本の総理大臣であり、高知県の利益代表ではない』趣旨の返事をしたと言われている。いわゆる土佐のイゴッソウである。
高知県南西部の山間は大きく『開発』されることが無く、豊かな山林とダムの無い大きな川が残った。四万十川は最後の清流として有名である。 |
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